買蔵と焼酎買取
買蔵では、焼酎の買取も行っております。銘柄やグレードに関する豊富な知識と経験を持ったバイヤーが、お客様の焼酎を買取いたします。割れやすい陶器のボトルに入ったものや希少価値が高いものは、一本からでも出張買取に伺っております。過剰在庫でお困りの飲食店オーナー様なども、ぜひ私どもに買取させてください。
焼酎買取や古酒買取に実績のある買蔵なら、高価買取が可能です。
取扱リスト
下のリストにはない焼酎も買取させていただきます。まずは一度、買蔵までお気軽にご連絡ください。
焼酎の話
「あの時と今をつなぐ一杯の焼酎」
会社の正面玄関を出ると、あたり一面真っ白だった。知らぬ間に、雪が積もっていたのだ。
「12月だもんな……」つい口をついて言葉が出た。
「独り言なんて俺も年を取ったもんだ」心の中で自分をからかって、俺は駅に向かって歩き始めた。
12月最初の金曜日。世間は年末に向けて歩みを速め始めたようだ。ここのところ、定時で帰れたためしがない。今は夜の8時だが、これでも早く帰れた方である。今日くらいは早く家に帰ってゆっくり寝ようかと思っていたが、いざ早く会社を出たらなんとなくこのまま家に帰りたくないような気持ちになって、俺は繁華街の方に歩き始めた。
駅まで歩いている間に、また雪がチラチラと降り始めた。通りの向こうを若いカップルが体を密着させながら歩いている。客を見送りに店の外に出てきたスナックの女が、露出した肩を手で抱きながら空を見上げている。ほろ酔い加減のサラリーマンが、交差点の洋菓子店で家族へのお土産であろうケーキを買っている。みな、それぞれの思いを胸に抱きながら、それぞれの12月を過ごしているのだ。
少し、センチメンタルな気持ちになった俺は、コートの襟を立て、かじかむ手をさすりながら繁華街を奥へと進んだ。
繁華街のはずれに、赤提灯の飲み屋がある。
もう70近くなるであろう爺さんが一人でやっている店だが、ありとあらゆる種類の焼酎が揃っていて、この辺りでは知る人ぞ知る名店なのだ。
引き戸を開けて店に入ると、爺さんと常連のおっさんが喋っていた。野球の話と孫の自慢話。いつもの光景である。ここだけは、12月も年末も関係ないようだ。
俺は、カウンターに座り、焼酎のお湯割りを頼んだ。爺さんが、米にするか芋にするか麦にするか聞いてくる。いつもなら初めは麦から頼むが、なんとなく違うものを飲みたい気分になったので、黒糖を頼んだ。
俺は、黒糖焼酎が好きだ。初めて黒糖焼酎を飲んだのは、奄美大島に行ったときだった。学生時代に付き合っていた彼女が奄美諸島の出身だったので、彼女の実家を二人で訪れたのだ。彼女の両親は俺を盛大にもてなしてくれた。島の伝統料理・鶏飯や豚味噌、伊勢海老など、豪華な料理が食卓を飾った。そして、名産品である奄美黒糖焼酎をいただいた。とても口当たりがよく飲みやすいが、やはりアルコール度数は高い。親父さんに勧められるがままにロックで何杯かいただいていたら、あっという間に酔ってしまった。
そんな思い出に浸っていたら、いつの間にか目の前に黒糖焼酎が置かれていた。
一口飲んだら、あの時の記憶がまた蘇った。奄美旅行はとても楽しかったが、俺達はその後いろいろあって別れてしまった。彼女は今どこで何をしているんだろう。元気にやっているんだろうか。幸せに生きているんだろうか。まあ、もう10年も前の話だ。記憶の中では彼女も俺もハタチのままだが、今ここでひとり酒を飲んでいるのは30歳の俺だ。
なんだか今夜は酔いたい気分になってしまった。10年経ってあの頃よりは酒も強くなった。それでもこの黒糖焼酎は俺を酔わすには十分強い。
黒糖焼酎のあと、泡盛をいただいた。泡盛は沖縄の酒だが、その起源には様々な説がある。一説には、タイからもたらされたという話もある。陳侃の『使琉球録』に南蛮酒(現在の泡盛)のことが記されており、南蛮酒は暹羅(タイ)から琉球へもたらされたという記述があるそうだ。泡盛の原料にはタイで食べられているインディカ米が使われていることからも、この説が有力だといわれている。
泡盛の後は、芋焼酎をロックで頼んだ。このあたりで、身体が宙に浮かんできた。それにしても、日本にはうまい焼酎がたくさんある。この店に来ると、ついついいろいろな焼酎に手を出してしまう。そして結果いつも酔っ払ってしまうのだ。
今夜もそうだった。
散々飲んで、千鳥足で店を出ると、雪はさらに強くなっていた。
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