岩手県でお酒の売却をご希望のお客様は...
岩手県にお住いのお客様は買蔵の本部(横浜)で受付いたします。
宅配買取はこんな方にオススメ
出張買取に来てもらうほどの本数はない
少ない本数でもわざわざ出張買取や店頭買取を利用するのはちょっと。。。とお考えのお客様には、宅配買取がおすすめです。
買蔵からお送りする宅配キットにお酒を入れて、買蔵まで発送していただくだけなので、手軽にご利用いただけます。
店頭買取のために来店する時間がない、店舗が家から遠い
宅配買取なら、「日本全国、どこへでも」ご自宅にお送りした
宅配キットで時間や場所を気にせずいつでも買取させていただきます。
対面でやり取りすることに抵抗がある
当社のスタッフは親切丁寧な接客態度を常に心がけていますが、
やはり対面でのやり取りには抵抗があるとお考えのお客様もいらっしゃることと思います。
宅配買取であれば、誰とも会わずにスムーズに買取させていただくことができます。安心してご利用ください。
【宅配買取の流れ】
まずはお電話かお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。
宅配キットをお客様のご自宅までお送りいたします。また、ご不明な点やご不安な点がありましたら、気軽にご相談ください。
宅配キットが届きましたら、丁寧に梱包してください。
配送中にキズがつくと、せっかくのお酒の価値が下がってしまいます。
梱包後、必要書類に記入していただき書類を宅配キットに同封し、佐川急便の着払いにて配送ください。
お客様のお酒が届き次第、査定させていただきます。査定後、お電話かメールにてご連絡いたします。
査定金額にご納得いただけた場合には、ご指定の銀行口座にお振り込みいたします。
査定金額にご納得いただけない場合には、お預かりしたお酒は責任を持ってお客様までお返しいたします。
岩手県とお酒
南部藩と近江商人
南部藩の商業経済を支配したのは、17世紀頃から領内に住みついた近江商人たちです。その先駆者といえる村井新兵衛は、慶長15年(1610年)南部遠野に来て3年在住し、慶長18年(1613年)盛岡に来往し紙町に居住しました。そして、彼を頼って近江高島郡の出身者が相次いで来往しました。
近江商人は、上方から木綿・古手などの雑貨を運び、奥州から砂鉄・紅花・紫根を上方に送る「産地回し商法」で財を成しました。
南部藩で酒造を始めた村井権兵衛は、近江国高島郡大溝14間町の出身であり、本姓は小野でした。寛文2年(1662年)頃、村井新兵衛を頼って盛岡に来て世話になり、姓を村井と改めました。
村井権兵衛の酒造と杜氏の起こり
江戸時代以前にも、南部藩領内では自家醸造的な酒造りは行なわれ、濁酒が造られていました。
村井権兵衛は、延宝5年(1677年)に米どころであった志和郡上平沢で造り酒屋を始め、志和近江屋を起こしました。
関西流の醸造法を採用し、大阪から杜氏を招いて当時としては珍しい澄み酒(清酒)を造りました。
売り出した澄み酒は爆発的に売れ、大きな財をなし、近江屋は大いに繁盛しました。みずからの蔵で造る酒だけでは足りず、不足分を付近の農家に委託して造らせるようになりました。農閉期の副業として下請け的な酒造りを担った農家を「引酒屋(ひきざかや)」と呼びます。何軒もの農家から酒を引き取る近江屋では、その酒質を揃えるために、上方から招いた専属杜氏に引酒屋を巡回指導させたようです。こうして、澄み酒醸造技術が紫波・稗貫の近江屋周辺の農村に普及しました。
南部藩の酒造
江戸時代の初期、志和村で酒造りを始めた村井権兵衛は地元の農民たちに大阪池田の酒造りの技術を伝えました。
この時代、領内で醸造にたずさわった酒造技術者は2種類に大別されます。一方は、上方などに留学し、先進的な技術を学んで領内に帰り、近江商人の資本のもとに造り酒屋を営み始めた専従杜氏です。
他方は、近江商人から酒造りを委託されて、農業の副業として小規模に酒を造っていた農民杜氏です。
藩、商人、農民が一体となった藩造酒計画は軌道に乗り、延宝9年(1681年)には藩領内の造り酒屋の数は189軒を数えました。
各地で試みられた藩造酒の生産の多くが失敗したことを考えると、南部藩は非常にうまくいった例と言わなくてはならない。
南部杜氏の発展
南部杜氏とは、岩手県石鳥町を拠点とする杜氏集団の一つで、南部流とも称され、長い歴史があります。
石鳥谷には藩の御用酒屋があり、藩主に献上する御膳酒を造る杜氏が住んでいました。
藩造酒の技術は農村部で師弟へ伝承されて、やがて藩外へ出稼ぎに行く杜氏たちを生み出すことになりました。
南部藩では、表向きは明治3年(1870年)まで藩外への出稼ぎを禁止していました。しかし、貧農たちが杜氏として藩外で副収入を得ることを黙認し、便宜を図っていました。
農作業が無くなる冬に仙台領の造り酒屋へ招かれるようになり、南部領からの杜氏ということで「南部杜氏」は全国に知られました。
明治時代の南部杜氏
盛岡藩最後の酒司・稲村徳助は、石鳥谷において伝統的な南部流を結集し、明治時代に即した技術として完成させ、多くの弟子を育成しました。
明治44年(1911年)に南部杜氏自らの組合結成を目的とする南部醸造研究組合が創設され、杜氏講習会などが開催されました。
当時は蔵元と蔵人は激しく対立する資本家と無産階級の関係にあったため、酒造従業員の団結を恐れる酒造家により組合は消滅されました。
大正時代以降の南部杜氏
大正3年(1913年)には、純粋に醸造技術の研鑽と後輩の指導育成、酒造従業員の団結を目的として、南部杜氏組合が結成されました。
結成当時の組合員数は220名、大正9年(1919年)には500名、大正12年(1922年)には1000名と急速に拡大していきました。
南部杜氏組合は、昭和23年(1948年)に南部杜氏協会となり、昭和28年(1953年)には社団法人南部杜氏協会となりました。同協会の会員数は昭和40年(1965年)の4,153名をピークに、以後減少の一途をたどり、平成6年(1994年)の時点では1,725人です。
南部杜氏は、杜氏組合としては全国最大の規模を誇り、九州と沖縄以外のほぼ全国に分布し、現在も日本各地の酒蔵で活躍しています。
岩手県の仕込み水
岩手県は、奥羽山脈と北上高地の山々が連なり、豊かな自然が残ります。山や大地にしみ込んだ雨水は、ミネラル分の豊富なおいしい水として地表にわき出します。
良質のお酒を造るには、水は硬すぎても、軟らかすぎてもだめです。岩手県の水は中硬水で、お酒造りに適しています。
岩手県の酒米「吟ぎんが」
岩手県農業研究センターにて1991年(平成3年)に出羽燦々と秋田酒49号を交配して育成された品種で、2002年に品種登録されました。
「吟ぎんが」と命名され、主に精米歩合50%以下に精米し、吟醸酒、純米吟醸酒の原料米として使われます。
「やわらかで豊かな新しい味わい」の清酒に仕上がり、岩手県の奨励品種にも編入されました。
岩手県の酒米「ぎんおとめ」
岩手県農業研究センターにて1990年(平成2年)に秋田酒44号とこころまちを交配して育成された品種で、2003年に品種登録されました。
平成11年度に「ぎんおとめ」と命名され、主に精米歩合55~60%に精米し、特別純米酒、特別本醸造酒に使われます。
「ぎんおとめ」は、大粒で心白の発現が「美山錦」よりやや低いが、酒造特性は「美山錦」とほぼ同等で「きれい、すっきり」な清酒に仕上がります。
岩手県の酒米「結の香」
「吟ぎんが」や「ぎんおとめ」は、高精白に耐えられず割れてしまったり、雑味成分が多かったりと、大吟醸造りには適しません。
そこで、岩手県は「山田錦」と青森の酒米「華想い」を親米として、150万株もの品種交配試験を行いました。
10年にも及ぶ研究開発の末、最高の酒米「結の香」を生み出しました。
「結の香」は、寒さに強く、夏の短い岩手での栽培に適しており、大粒なお米になります。
「結の香」は酒の「雑味」につながるタンパク質が少なく、精米や醸造時に砕けにくいという特徴があります。40%まで精白しても割れにくく、大吟醸酒造りに適しています。
出来上がったお酒の香りは非常に華やかで、ふんわりとした甘味に酸味のアクセントが効いた酒質です。
岩手県の独自酵母
岩手県オリジナルの最初の酵母は、平成5年(1993年)に開発された吟醸用の酵母「岩手吟醸2号酵母」です。
県内醸造所のもろみから分離・培養された酵母で、きょうかい9号に比べカプロン酸エチルを2倍生成します。
「ジョバンニの調べ」酵母と「ゆうこの想い」酵母
「岩手吟醸2号酵母」の遺伝子工学的手法による交雑育種株を行い、平成10年(1998年)に吟醸香の生成が高く、酸の生成が低い2株が開発されました。
これらの酵母は、「ジョバンニの調べ」と「ゆうこの想い」と命名され、平成21年から頒布となりました。
「ジョバンニの調べ」からは、華やかさと繊細さが特徴の、薫り高くて「キレイ」な味のお酒が生まれます。
「ジョバンニの調べ」はになります。
「ゆうこの想い」からは、女性的な温かさとぬくもりが特徴の、穏やかな香りと優しい味わいのお酒が生まれます。
オリジナル麹菌「黎明平泉」
岩手県オリジナルの麹菌は、29種類の麹菌の中から、香りや色などを吟味して選ばれた2種類の麹菌をブレンドして造られました。「黎明平泉」と命名された麹菌は、岩手県オリジナル酒造好適米「吟ぎんが」から、旨味や甘みのバランスが良く、後味のスッキリした酒が出来る特徴があります。