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愛知県とお酒

愛知のお酒伝説

古事記と日本書紀には、ヤマトタケルノミコトが尾張でミヤスズヒメと会ったとき「大御酒盞」が捧げられる場面があります。その当時、熱田の地で酒が造られていたことを示すもので、愛知の酒造りの歴史の始まりです。
愛知県一宮市にある酒見神社は、「元伊勢」と呼ばれる神社で、酒造の神である酒弥豆男神と酒弥豆女神を祀っていて、清酒醸造元祖の神社とも言われます。
愛知は大和や京都に近く、古代から交流が活発でした。
新しい醸造技術も早く伝わり、良い酒が造られて、都や伊勢神宮などで飲まれていました。
大邑刀自、小邑刀自二人の酒造師が伊勢神宮から持って来た大酒甕二個は、本殿裏の地下に埋められているといいます。
また、愛知県岡崎市の酒人神社の主祭神は酒人親王です。
酒人親王は、水に恵まれていたこの地で、我国で初めて清酒を醸造したと伝えられています。

愛知県のお酒の歴史

戦国時代になって、織田信長の清洲城下に酒造業が現れ、尾張の物資集散地・津島には多くの酒屋があったとの記録があります。
愛知の酒造業の発展は江戸時代以降です。名古屋藩主二代目光友は酒を好み、酒造りの先進地・南都(奈良)より杜氏を招き指導させるなど、酒造りを奨励しました。尾張藩内の酒造業は急速に発展し、その産地は主に知多半島の両岸、西三河海岸地方に集中しました。これらの地で造られた酒の大半は江戸で飲まれましたが、アルコール度数が高く「鬼ころし」の愛称で親しまれました。
明治に入っても製造技術の改良、販売努力が重ねられました。国内でも珍しい醸造試験所が豊醸組(半田酒造協同組合の前身)内に設けられるなど、全国的に優位な地位を保っていました。しかし、愛知の酒蔵は、明治中期以降から近代化・合理化に遅れをとり、大正・昭和には不況や戦争などの苦難の時代を乗り越えてきました。伝統、技術など歴史的遺産を受け継ぎ、たゆまぬ醸造技術の改善、品質向上の努力によって磨きがかけられ、いまも全国に誇る旨口の酒が造られています。

徳川家康好みの「忍冬酒」

愛知県と言えば、まず思い出すのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が三英傑です。
ルイス・フロイスの日本史によると織田信長はお酒の飲めない下戸であったようです。
一方、豊臣秀吉は天野山金剛寺の僧坊酒である『天野酒』の愛飲家で、朱印状まで出したようです。
徳川家康は75歳の長寿で、スイカズラから作られる忍冬酒(にんどうしゅ)を愛飲していたようです。
戦前は全国各地で忍冬酒が造られていたようですが、現在は最近復活した浜松と犬山の2箇所だけです。
犬山市で忍冬酒を造り続けている和泉屋小島醸造は慶長2年(1598年)の創業です。
小島醸造の建物は江戸後期に建築された貴重なもので、国の登録文化財の指定を受けています。
忍冬酒は2代目小島弥次左エ門の代からのもので、スイカズラと米を醗酵させて造るお酒です。
忍冬酒を一貫して作る唯一の醸造元となった小島醸造では、忍冬酒の製法を門外不出・一子相伝として、絶やすことなく脈々と受け継いできました。
忍冬酒という薬味酒造り一本なので、小島醸造の軒先には日本酒を象徴する杉玉が掛かっていません。
スイカズラは薬草でもあるので家康も愛飲していたそうで、江戸時代は犬山城主成瀬家から幕府への献上品でもあったお酒です。
常に飲用すれば滋養が非常に豊富で体温の調整を計り、風邪をひかず胃腸は健やかになります。
小島醸造の忍冬酒は荵苳酒という漢字を書き、一滴の混合物もなく造る誇り高きお酒です。
累代家伝の秘法で製造される荵苳酒は、数年経過しても腐敗することは絶対にありません。
銘酒に共通する、時日を経過するに従って熟成し、益々味を増すとの評価もあります。
お燗をする必要がなく、口当たりもよいお酒です。
「ウィスキー」に甘味を加えた様でしかも香りが良く、酔心地も格別です。

酒造好適米「菊水」

昭和12年(1937年)に愛知県の農業試験場で『菊水』と命名された酒米が誕生しました。
この米は、「雄町」を片親に昭和5年(1930年)に人工交配し、その後いい苗を選抜して育て上げた品種です。
背丈を20センチも短くして、倒れやすい「雄町」の欠点を改善し、品質は「雄町」に同等の理想的な酒米でした。
しかし、「菊水」は、ある害虫に弱いところがあり、菊水を母に人工交配した新品種「白菊」と交代させられ、昭和20年(1945年)にはすっかりその姿を消しました。

酒造好適米「若水」

 若水は、愛知県農業総合試験所において「五百万石」と「あ系酒101」の交配により育種されました。昭和60年に酒造好適米として品種認定を受け「若水」と命名されました。
「若水」は, 短稈で倒れにくく, 心白の発現が良好な早生品種です。
若水は、低地栽培型の品種として、愛西市、常滑市、安城市及び幡豆町で栽培されている。

酒造好適米「夢山水」

愛知県の農業者からは、中山間部でも付加価値の高い酒米を作りたいという要望がありました。
また、地元の米で地酒を造りたいという酒造メーカーの要望もありました。
愛知県農業総合試験所は、奥三河地域に適した酒造好適米の品種育成を手掛けてました。
昭和63年に「山田錦」を母本に、「チヨニシキ」の姉妹系統である「中部44号」を父本に用いて交配しました。「山田錦」並の醸造特性と「チヨニシキ」並の栽培特性を持つ品種の育成を目指しました。平成7年から食品工業技術センターでパイロット醸造試験を開始しました。そして、平成8年からは酒造業者に委託して大規模醸造試験を行いました。平成10年に「夢山水」と命名され、愛知県の奨励品種に採用されました。
夢山水は、中山間地域栽培型の品種として、豊田市、設楽町及び東栄町など県東北部で栽培されています。
「夢山水」の心白構造は「山田錦」に類似し、千粒重は平均27gとやや大粒で,「山田錦」とほぼ同様です。
「夢山水」の見掛精米歩合50%における砕米率は12.3%で「山田錦」に次いで低い値を示し、吟醸レベルの高精白に耐える米質です。
酒米としては、たんぱく質が低く、また胚芽も取れやすく、縦溝部分が浅いため、精米後の米に含まれるミネラルやビタミン、脂肪類も少ないことが大きな特徴です。
夢山水からは、ほくほくとした丸みのある風味に、華やかな香りととろみを加え、スッキリした雑味の少ないきれいな酒質のお酒が出来ます。

酒造好適米「夢吟香」

「若水」は高度精白が困難で吟醸酒用としては不適であるため、「山田錦」に近い高度精白適性を持つ品種が求められました。玄米表面を多く削っても割れにくい特性を持ち、栽培安定性の高い酒米新品種を目標に、2001年に「山田錦」と「育酒1764(若水)」の交配が行われました。
平成23年(2011年)「夢吟香」として品種登録され、県内9社の酒造メーカーで実証仕込みが行われました。
平成24年には常滑市と阿久比町で生産者3戸が1.5haで栽培し、酒造会社2社で試験醸造を行いました。
新品種は成長した稲の高さが酒米の最高品種とされる「山田錦」より低く、倒れにくく栽培しやすいのが特徴です。
酒造適性は山田錦と同様に、米粒が大きく、精白にも適しているため、吟醸酒や大吟醸酒の醸造に向いています。
「若水」と比較すると、心白が小さく、線状心白、点状心白の割合が高く、高度精白が可能で、より香り豊かで、淡麗、辛口の吟醸酒ができます。