山梨県でお酒の売却をご希望のお客様は...

山梨県にお住いのお客様は買蔵の本部(横浜)で受付いたします。

宅配買取はこんな方にオススメ

出張買取に来てもらうほどの本数はない

少ない本数でもわざわざ出張買取や店頭買取を利用するのはちょっと。。。とお考えのお客様には、宅配買取がおすすめです。
買蔵からお送りする宅配キットにお酒を入れて、買蔵まで発送していただくだけなので、手軽にご利用いただけます。

店頭買取のために来店する時間がない、店舗が家から遠い

宅配買取なら、「日本全国、どこへでも」ご自宅にお送りした
宅配キットで時間や場所を気にせずいつでも買取させていただきます。

対面でやり取りすることに抵抗がある

当社のスタッフは親切丁寧な接客態度を常に心がけていますが、
やはり対面でのやり取りには抵抗があるとお考えのお客様もいらっしゃることと思います。
宅配買取であれば、誰とも会わずにスムーズに買取させていただくことができます。安心してご利用ください。

【宅配買取の流れ】

STEP.1 kaitori-mail

まずはお電話かお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。

宅配キットをお客様のご自宅までお送りいたします。また、ご不明な点やご不安な点がありましたら、気軽にご相談ください。

STEP.2 takuhai-hako

宅配キットが届きましたら、丁寧に梱包してください。

配送中にキズがつくと、せっかくのお酒の価値が下がってしまいます。

STEP.3 takuhai-kuruma

梱包後、必要書類に記入していただき書類を宅配キットに同封し、佐川急便の着払いにて配送ください。

STEP.4 kaitori-ichiman

お客様のお酒が届き次第、査定させていただきます。査定後、お電話かメールにてご連絡いたします。

査定金額にご納得いただけた場合には、ご指定の銀行口座にお振り込みいたします。

査定金額にご納得いただけない場合には、お預かりしたお酒は責任を持ってお客様までお返しいたします。

山梨県とお酒

山梨のワイン産業

ぶどうが山梨県に根付いてから800年、県内には約80社のワイナリーがあり、国産ワインの約3割を生産しています。
明治初期に勝沼の2人の青年がフランスで学んだワイン醸造技術を地元に広めて以来着実に発展してきました。
山梨県は果樹王国と言われ、地形や気候が穀物の栽培に不向きで、葡萄や桃等フルーツ栽培に適しています。
日本のワインの発祥の地、山梨県は、ブドウ栽培の広がりとともに、余剰ブドウを使ったワイン醸造も盛んになり、栽培と醸造が一緒に発展してきました。
政府や県、市町村も明治時代から法的整備や資金支援、品種改良の研究開発などブドウ・ワイン産業を育成し、日本一のワイン産地が形成されました。
その代表的なひとつである葡萄の中で、当県産固有の甲州ブドウと称される葡萄を原料にしたワイン造りが盛んで、日本一の生産量を誇っています。

甲州ワインの先駆者

甲州ワインの歴史を語るとき、山田宥教と詫間憲久という二人の先駆者のことを語らねばならない。先駆者は必ずしも成功者ではないが、その貢献は非常に大きい。
明治維新で文明開化の夜明けを迎えた明治政府は、「殖産興業」の政策を打ち出しました。二人は欧米並みの事業を興そうとの熱意に燃えて、全国に先駆けてワインづくりに着手しました。
山田宥教は甲府広庭町の真言密教の大応院に生まれた縁で、日本で初めてのぶどう酒共同醸造場は大法院の境内に建てられました。境内の土蔵を改装して醸造場にしたとも考えられます。
 山田、詫間の二人が全財産を投げ出して、甲州種やヤマブドウを原料にぶどう酒の醸造をはじめたのは明治3年秋ごろと思われます。二人は、ぶどう酒を詰める外国産のあきビンを横浜外国人居留地から大量 に仕入れており、外人居留地の外人からぶどう酒の造り方を教わったのではないかと想像されます。
やがて醸造も軌道に乗り、明治7年には白ぶどう酒約900リットル、赤ぶどう酒約1800リットルを生産したようです。
しかし、明治9年7月に二人は山梨県に、「葡萄酒醸ニ付御願」という陳情書を提出し、醸造経営の苦しい状況を訴えてています。無利息の資金援助は一部決定されたものの、明治9年10月に事業は廃休したようです。
技術の未熟さと原料葡萄の糖度不足のため、良質のワインを生産できず、廃業に追い込まれました。

甲州ワインの本格始動

ブドウの産地、山梨県を欧米式ブドウ栽培と醸造施設のモデル県にするために、明治10年3月に山梨県立葡萄酒醸造所が建設されました。
明治10年8月には、東八代郡祝村(現甲州市勝沼町)にぶどう酒醸造の法人組織「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されました。
山田宥教と詫間憲久の挫折を教訓にして、「大日本山梨葡萄酒会社」の経営は慎重でした。
会社を操業するには、醸造技術と醸造法を完全に指導できる有能な人材が必要だと認識していました。
そこで村から優秀な青年をワインの本場フランスへ派遣し、醸造技術と醸造施設、醸造用のブドウ品種の選別などを徹底的に学ばせることにしました。
高野正誠と土屋助次郎の二人が選ばれ、修業期間を一ヶ年とし、旅費、滞在費、研修費は、県内のブドウ生産地の郡費で支給されることになりました。
これにより、日本人の手による国産の良質なぶどう酒を生産しようと考えたのです。

厳しかったワイン研修

出発に当たり高野正誠と土屋助次郎は会社側と渡航上の契約書をかわしました。ぶどう酒つくりに全く無知な二人が、一年間ですべてを学び終える責任が課されました。
明治10年10月10日に横浜港から出航し、マルセイユの波止場に着いたのは明治10年11月24日で45日間の船旅でした。
二人は、パリの公使館の一室を借りてフランス語を習う為、近くの小学校へ通い、一カ月後いくらかフランス語が聞き取れるようになりました。修業は1年の約束なので、語学に時間をかける余裕がなく、12月末にはシャンパーニュ地方の研修地に行きました。
二人は、ブドウの剪定、挿し木法や接ぎ木法、摘果、収穫法の実技を習いながら、ブドウの品種の研究、生食用ブドウと醸造用ブドウの本質的な違いなどを学びました。実技と理論を和訳の辞典と照らし合わせて学ぶ厳しい研修生活を送りました。更に、この研修の成果を正確に伝える為、丹念に実物をスケッチしました。
難解な栽培法や醸造法を習得するために、昼は作業、夜は記録と無駄な時間はありませんでした。ブドウの収穫からワインの貯蔵法、新酒の蔵出しまで研修の過程を終えたとき、約束の期間はすでに過ぎていました。横浜の港へ着いたのは明治12年5月8日、予定より7カ月超過して、1年7カ月ぶりの帰国でした。欧州研修の際に、大日本山梨葡萄酒会社と交わした契約は、修業期間は1年で、それ以上延長した費用は自己負担で補う約束でした。その結果、高野家では高額の違約金の支払いにより、借財に苦しんだそうです。

研修の成果

現代と違って百年前は船旅で、片道だけでも50日もかかりました。日本とヨーロッパの距離的な感覚を知らないそのころの祝村の村民は、7カ月遅れたことを問題視しました。高野正誠と土屋助次郎が得た西欧のブドウ栽培と醸造技術の大きな成果を正しく評価することができなかったようです。
殖産政策を担当する内務省が、官報で祝村の葡萄酒会社が二人の青年をフランスへ派遣したことを大きく取り上げ、全国に宣伝されました。
二人の青年の帰国で国産ぶどう酒の本格的な醸造が始まりました。しかし、醸造用ブドウの改良と醸造設備の不備の問題があり、ある程度の水準に達したぶどう酒が生産されるようになったのは明治三十年代からです。

ブドウ品種の確立

 甲州種ブドウは代表的な国産ワインの原料で、コーカサス地方、カスピ海沿岸が原産地とされます。
仏教と共にシルクロードを経て中国を経由して日本に伝わり、気候風土の合った山梨県勝沼に定着したと思われます。
日本の個性を表現する日本独自のブドウとして白ワイン用の甲州と、赤ワイン用のマスカット・ベーリーAが注目を集めています。甲州は2010年、マスカット・ベーリーAは2013年にO.I.Vに品種登録されたので、輸出するときにラベルに品種を表示することができます。

地理的表示

「ボルドー」や「ブルゴーニュ」と聞けば、それぞれのワインのタイプや品種のイメージが思い浮かびます。
地理的表示とは、ワインでいえば「ボルドー」や「ブルゴーニュ」のように、生産された地域を表示するものです。
土地や風土によって作られる個性を反映した生産物を地域の財産として認め、産地の表示を法的に認めるのが地理的表示です。
2013年に「山梨」という地理的表示が日本で初めて国に認められました。
日本で地理的表示が認められると、EUでもその表示が認められます。
今後「山梨」と表示されるワインは、数々の要件を満たしたものとして原産地や品質を保証された付加価値の高いワインになります。
日本の代表的なワイン産地としてやまなしのブランド力が更に高まることが期待されています。

甲州ワインの発展

甲州ワインは近年品質の向上が著しく、新たな柑橘系の香りを特徴としたものやスパークリングワインなど、さまざまなタイプのワインが造られています。
また、シュール・リー製法(発酵後、澱と接触させて味の厚みを引き出す製法)や樽を使用した製法も取り入れられています。
平成21~23年度に、「JAPANブランド育成支援事業」として「甲州ワイン」のEU輸出プロジェクトを採択されました。
EUへワインを輸出するためには、EUワイン法に定められたワインの醸造が必要です。KOJの参加ワイナリーでは糖度が低く醸造が難しい甲州葡萄を使って、EU基準に合致し、国際的に高い評価が得られるワイン造りを行ってきました。