滋賀県でお酒の売却をご希望のお客様は...
滋賀県にお住いのお客様は買蔵の本部(横浜)で受付いたします。
宅配買取はこんな方にオススメ
出張買取に来てもらうほどの本数はない
少ない本数でもわざわざ出張買取や店頭買取を利用するのはちょっと。。。とお考えのお客様には、宅配買取がおすすめです。
買蔵からお送りする宅配キットにお酒を入れて、買蔵まで発送していただくだけなので、手軽にご利用いただけます。
店頭買取のために来店する時間がない、店舗が家から遠い
宅配買取なら、「日本全国、どこへでも」ご自宅にお送りした
宅配キットで時間や場所を気にせずいつでも買取させていただきます。
対面でやり取りすることに抵抗がある
当社のスタッフは親切丁寧な接客態度を常に心がけていますが、
やはり対面でのやり取りには抵抗があるとお考えのお客様もいらっしゃることと思います。
宅配買取であれば、誰とも会わずにスムーズに買取させていただくことができます。安心してご利用ください。
【宅配買取の流れ】
まずはお電話かお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。
宅配キットをお客様のご自宅までお送りいたします。また、ご不明な点やご不安な点がありましたら、気軽にご相談ください。
宅配キットが届きましたら、丁寧に梱包してください。
配送中にキズがつくと、せっかくのお酒の価値が下がってしまいます。
梱包後、必要書類に記入していただき書類を宅配キットに同封し、佐川急便の着払いにて配送ください。
お客様のお酒が届き次第、査定させていただきます。査定後、お電話かメールにてご連絡いたします。
査定金額にご納得いただけた場合には、ご指定の銀行口座にお振り込みいたします。
査定金額にご納得いただけない場合には、お預かりしたお酒は責任を持ってお客様までお返しいたします。
滋賀県とお酒
近江商人
滋賀県は伊勢商人と並ぶ近世の代表的な行商人である近江商人の故郷です。
近江では早くから城下町が形成され、城主の保護などにより、商業活動の発展の条件が整っていました。
石高(米の生産)も全国で第2位の多さでしたが、所領関係も複雑で変化が多い地域でした。
このため、領主は自給自足政策より商人が他国へ出かける便宜を与えたりしました。
近江商人はさまざまな業種に従事していたようです。
湖東、八幡、高島、日野などおよそ現在の郡に相当する範囲ごとに得意とする商品が異なっていたようです。
江戸時代には全国を商圏に取り込み、明治以降は海外にまで活躍の場を拡大しました。
出かけた土地で定着し、商業に製造、海運、保険、金融など今にいたるまで近江系企業は活躍しています。
近江商人の家訓・理念と経営
近江の商家には創業者や成功者などが残した多くの家訓や店則があります。
中でも有名なのは、「三方よし」で、売り手よし、買い手よし、世間よし の考えです。
近江聖人と称えられた中江藤樹は近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者です。
近江には、仏教、儒教、神道の熱心な信仰心がありました。そこから、勤勉・倹約・正直・自立・敬神・崇仏の精神が生まれました。
江戸時代の酒蔵事情
江戸時代に余剰米が多くなると、それを利用した酒造が盛んになりました。
幕府は、豊作と不作により引き起こされる米の価格の乱高下を抑える政策をとっておりました。幕府は、米が不作のときは酒造の量を制限することにより、米の価格を酒で調整していました。酒造を免許業種にして、豊作の年には酒造量を増やして米価の下落を防ぎ、不作の年には酒造量に減らして米価が高騰しないようにしたのです。
酒造業は免許が必要である上に、大きな醸造設備が必要なので競争者が現れにくい業種でした。
競争者が現れないことは儲かる業種であり、安定した業種だったのです。
全国に行商に出かけた近江商人は、現地で代金の替わりに得た米で、各地で造り酒屋や造り酢屋を盛んに営みました。
日本の各地に進出した近江商人は、その資本力を使って多くの蔵を開き、酒造業に進出したのです。
今でも「近江屋」という酒屋が多く見られますが、日本の醸造業の発展に近江商人の果たした役割は、非常に大きなものがあります。
北関東の「江州店」
江戸時代には北関東の近江商人の業種は酒造業が多く、今でも埼玉栃木の老舗の酒造業者には近江商人が多くいます。その多くは、清酒を主力商品とするは日野商人たちでした。
日野商人は、「商人」と言っても販売だけに特化していたのではなく、北関東地方の街道沿いを中心に店舗を設置し、清酒の製造・販売を行っていました。
ただし、主家は日野に住み続けて、店舗の運営は支配人に一切が任されていました。
有力な日野商人は労働力の大部分を居宅の周辺地域から調達していました。
労働力の募集圏は地縁・血縁関係によっておおよそ決まっていたのです。
近江商人の出店方法
出店方法は、酒蔵の増設・買収に加え、分家別家への暖簾分け、乗合商法という複数の商家による共同出資・共同経営などが主でした。屋号はかつて消費者に対する信用を示すものであったため、近江商人は集中出店型の店舗展開を試みたと考えられます。集中出店によって市場占有率を高めることにより、後発の参入者を阻止し、経営の安定性にも有効でした。このようにして、近江商人は出店先周辺の地主副業型経営を淘汰し、現代に至るまで比較的安定経営を続けてきたと考えられます。
滋賀県のお酒事情
滋賀県は、酒米と仕込み水に恵まれています。
県内には約40の蔵元がありますが、石高は決して大きくありません。
それぞれが独自性を追求した自社ブランドを持つ個性的な蔵で、切磋琢磨する団結力が近江酒を盛り上げています。
仲はいいけど、目指すところはてんでんばらばらで産地呼称制度とは無縁のようです。
滋賀県の酒米
滋賀の酒米は、山よりの傾斜地で栽培されています。
現在、県内の蔵元でよく使われている酒米は「玉栄」、「山田錦」、「吟吹雪」、「滋賀渡船6号」の4種類ですが、
「山田錦」以外は、滋賀県生まれの酒米です。
「玉栄」からはキレのよい辛口酒、「吟吹雪」からは玉栄と山田錦の性質を受け継いだ滋賀の吟醸酒、「滋賀渡船6号」からは、荒々しさが魅力のお酒が生まれます。
幻の酒米「滋賀渡船」
酒造好適米のうちで最も人気がある「山田錦」は、1923年短稈渡船を父とし、山田穂を母として交配され、生まれた品種です。滋賀県農事試験場は明治28年に開設され、福岡県産「渡船」の品種試験が行われました。
そして、純系分離により「滋賀渡船2号」「滋賀渡船4号」「滋賀渡船6号」が育成され、県の奨励品種として昭和34年まで湖南地方を中心に栽培されていました。
「渡船」は現存する数少ない日本古来の在来種ですが、穂先までの長さが160㎝もあるので台風など風の影響を受けやすく、栽培の難しさから誰も作らなくなってしまいました。
玉栄
昭和29年(1954年)に愛知県農業試験場で育成され、早生で強稈が特徴の酒造好適米です。主な生産地は鳥取県と滋賀県で、滋賀県の奨励品種となっています。
千粒重は28.1gと山田錦並みの大粒の米ですが、心白の発現率はやや低めです。吟醸酒には向かないとされていますが、熟成に向く独特の風味がある酒質となっています。
フルーティな酒で、純米酒にしてはかなり香りがあるため、米の旨味もあるお酒が生まれます。
酒米新品種「吟吹雪」
「玉栄」は心白の発現頻度が低く、吟醸酒には不向きです。一方、吟醸酒に向いている「山田錦」は長稈できわめて倒伏しやすいことや、滋賀県では熟期が遅すぎるなどの問題がありました。「山田錦」の栽培特性の改善を主たる育種目標とし、1984年に「山田錦」を母、「玉栄」を父とし交配を行いました。1989年に収量試験を行い、翌1990年からは奨励品種決定調査、1991年には現地試験等でその特性を調査し、1998年に「吟吹雪」と命名されました。
「吟吹雪」は「日本晴」より1週間程度晩熟の中生の晩に属する粳種です。
稈長は「玉栄」および「日本晴」に比べて5~6cm長く、収量性は「玉栄」および「日本晴」に比べ高いです。
玄米の外観品質は「玉栄」より心白の発現が良好であり、良質です。玄米千粒重は「山田錦」より大きいが、「玉栄」より小さいです。
山田錦と遜色ない酒造適性を有し、特に吟醸酒用として適性が高い。
「滋賀渡船6号」の復活
平成16年、農業技術振興センターから、「滋賀渡船」の種子を譲り受け、東近江農業改良普及センターと農業技術振興センターの協力で約3坪の水田で採種しました。平成17年には、約50アールの水田で試験栽培を行いました。醸造適性試験では、酒造好適米の指標となる山田錦の標準値と遜色のないデータが得られました。
平成18年には、「滋賀渡船」を6ヘクタール栽培し、その生産量は21トンになりました。
県内酒造会社8社で行った「滋賀渡船」の醸造適性試験では、酒造好適米の指標となる山田錦の標準値と遜色のない結果が得られました。
こうして、県内各地の酒蔵では、「滋賀渡船6号」の酒造りが始まりました。
「滋賀渡船6号」は醗酵のバランスを取るのが非常に難しく、醸造作業は野生の暴れ馬を慣らすように大変でした。出来上がった純米酒は、ガツンとコクのあるパワフルな味わいで、荒々しさが魅力です。
「滋賀渡船6号」の復活は農家のたゆまぬ努力の賜物といえます。
近江米新品種「みずかがみ」
平成24年に滋賀県で飯用の新品種「みずかがみ」が、温暖化対応品種として育成されました。
みずかがみは、高温に強く、猛暑の年でも品質が安定しています。
このお米は、「日本晴」と同様に、酒米としても使えるお米です。
9号酵母を使用して醸されたお酒は、フルーティーで軽やかなお酒です。