奈良県でお酒の売却をご希望のお客様は...
奈良県にお住いのお客様は買蔵の本部(横浜)で受付いたします。
宅配買取はこんな方にオススメ
出張買取に来てもらうほどの本数はない
少ない本数でもわざわざ出張買取や店頭買取を利用するのはちょっと。。。とお考えのお客様には、宅配買取がおすすめです。
買蔵からお送りする宅配キットにお酒を入れて、買蔵まで発送していただくだけなので、手軽にご利用いただけます。
店頭買取のために来店する時間がない、店舗が家から遠い
宅配買取なら、「日本全国、どこへでも」ご自宅にお送りした
宅配キットで時間や場所を気にせずいつでも買取させていただきます。
対面でやり取りすることに抵抗がある
当社のスタッフは親切丁寧な接客態度を常に心がけていますが、
やはり対面でのやり取りには抵抗があるとお考えのお客様もいらっしゃることと思います。
宅配買取であれば、誰とも会わずにスムーズに買取させていただくことができます。安心してご利用ください。
【宅配買取の流れ】
まずはお電話かお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。
宅配キットをお客様のご自宅までお送りいたします。また、ご不明な点やご不安な点がありましたら、気軽にご相談ください。
宅配キットが届きましたら、丁寧に梱包してください。
配送中にキズがつくと、せっかくのお酒の価値が下がってしまいます。
梱包後、必要書類に記入していただき書類を宅配キットに同封し、佐川急便の着払いにて配送ください。
お客様のお酒が届き次第、査定させていただきます。査定後、お電話かメールにてご連絡いたします。
査定金額にご納得いただけた場合には、ご指定の銀行口座にお振り込みいたします。
査定金額にご納得いただけない場合には、お預かりしたお酒は責任を持ってお客様までお返しいたします。
奈良県とお酒
二つの酒船石
歴史の里・奈良には、石舞台など石造の遺物が存在します。
石舞台から北へ向かうと小高い丘の上に花崗岩の石造物があります。石の長さは約5.5メートル、幅が約2.3メートル、厚さが約1メートルで、酒船石と呼ばれています。昔お酒を搾るのに使ったという説もありますが、実際の所は謎です。しかし、この石の近くで水を引く土管や石棺が発掘されていることから、この石に水を引いていたようです。この酒船石を岡の酒船石と呼ぶことがあります。
岡の酒船石から、約400m離れた飛鳥川畔でも2個の石造物が見つかっています。これにも水を流したような溝などがあり、同じく酒船石と名付けられています。区別するためこちらを出水の酒船石と呼ぶことがあります。
大神神社について
桜井市にある大神神社は、祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が三輪山に鎮座するため、三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残しており、本殿をもたない日本最古の神社の一つです。
三輪山は古来から「三諸山(みむろやま)」と呼ばれ、みむろとは、実醪、酒のもとの意味もあります。「うま酒みむろの山」と称され、酒の神様としての呼び名であるとも言われています。
毎年11月14日に日本全国から蔵元・杜氏が大神神社に集まり、「醸造祈願祭(酒まつり)」が執り行われます。境内では振舞酒も出され、多くの参拝客や観光客でにぎわいます。
杉玉の風習
大神神社では、醸造安全祈願祭の時、拝殿には杉玉が吊るされます。そして、大神神社から全国の酒蔵に「三輪明神・しるしの杉玉」と書かれた「杉玉」が届けられ、軒先に吊るされます。
杉玉は「新酒が出来ましたの合図」で、「青々とした杉玉」が一年をかけて徐々に茶色になっていき、酒の熟成具合を表すといわれています。
杜氏の神社「活日神社」
日本書紀によると、第十代崇神天皇時代に、国は疫病の流行で混乱を極めていました。解決策を模索する天皇の夢に、大物主大神が現れ、お告げになりました。天皇はお告げの通り、「高橋活日命」を呼び、一夜で酒造りを行い、神酒を奉納しました。これを契機に疫病は去り、国が富みはじめました。大神神社の摂社「活日神社」には、高橋活日命が杜氏の神様としてまつられました。
僧侶が醸造する「僧坊酒」
当時寺院では、荘園からあがる米を用いて鎮守や天部の仏へ献上するお酒を自家製造していました。
このように僧侶が醸造するお酒は「僧坊酒」と呼ばれています。
多武峰酒は大和国桜井の淡山妙楽寺で醸造された僧坊酒です。
諸白造りについて
白米のみを使用する「諸白造り(もろはくづくり)」は、室町時代に興福寺の僧坊による酒造りの中で考案されました。「諸白造り」は、それまでの酒をはるかに上回る良質のものでした。
また、傷みやすかった酒を低温で煮ることで殺菌し、酵素の動きを止めて香味の熟成をはかる「火入れ」もこの時期に考案されました。
清酒発祥の地「正暦寺」
日本の清酒発祥の地とされる正暦寺は、奈良市東南の郊外の山間にあるお寺です。
一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって992年(正暦3年)に創建されました。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が建ち並び、勅願寺としての威容を誇っていました。
当時の正暦寺では、仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」、麹と掛米の両方に白米を使用する「諸白造り」、酒母の原型である「菩提もと造り」、さらには腐敗を防ぐための火入れなど、近代醸造法の基礎となる酒造技術が確立されていました。
正暦寺の酒は、菩提泉という名で知られていました。
正暦寺の非常に高い酒造技術は、天下第一と評される「南都諸白」に受け継がれました。そしてこの「諸白」こそが、現代の清酒の祖とされ、現在の清酒造りの原点を正暦寺に求めることができます。
奈良流について
奈良流とは、僧坊酒の伝統や技法を直接に受け継ぎ、江戸時代の諸流派の源となった日本酒の製法に関する流派の一つです。
中世の日本においては、大和国や河内国の大寺院が造る僧坊酒が日本の酒の中心でした。しかし、戦国時代に織田信長はじめ武将たちの攻撃を受けて寺院勢力は大きく衰えました。それと同時に寺院の中で培われてきた醸造設備は破壊され、技術も散逸していきました。それを直接受け継いだのが奈良の造り酒屋たちであり、彼らの製法・技法を奈良流といいます。
江戸時代に下り酒を生産する摂泉十二郷の伊丹流、鴻池流、小浜流、池田流、灘流などの源流は奈良流です。
地理的に奈良が大消費地である江戸への輸送に適していなかったことなどから、奈良流が商業的に隆盛することはありませんでした。
正暦寺の菩提もと造りの挑戦
奈良県の酒造メーカーの中でも、最も正暦寺に近い場所に立地する奈良市の「菩提泉」は、正暦寺の菩提もと造りに基づく酒造りを目指した。
このアイデアを当時の奈良県工業試験場に相談しました。工業試験場の指導で菩提もと造りにとりかかったものの、発酵に30日も40日もかかる非常に手間隙かかる作業であった上、出来上がったものは、とても酸味が強いものであったということです。
安川酒造は、昭和63年(1988年)に菩提もと造りに基づくお酒「菩提泉」を世に出し、正暦寺に奉納しました。
菩提泉という酒名は正暦寺の由緒ある酒銘です。
「菩提泉」は、通常の日本酒の味とはあまりに違い、それまでの安川酒造の酒とも違っているので、腐っているのではないか、といった問い合わせさえ来たということです。その後、改良も加えられたようですが、残念なことに安川酒造は現在ありません。
正暦寺の菩提泉の復活
正暦寺で室町時代に盛んに製造された僧坊酒の一つが菩提泉で、これを復活させようとするプロジェクトが平成8年にスタートしました。
室町時代の「多門院日記」や「御酒之日記」などの文献資料を参考にしながら、試行錯誤を繰り返し、製造メカニズムの研究などに取り組みました。
そして、正暦寺の境内から、「菩提もと」の製造に適した乳酸菌を分離・培養することに成功しました。
酵母の採種と育成に成功し、麹菌を含めた総合的な製造方法を確立する事により、再現性よく高品質な「菩提もと」の製造に成功しました。
こうして、平成10年に室町時代の名酒「菩提泉」が500年ぶりに復活しました。
正暦寺では、正月の1月6日に初度の仕込み、1月9日に二度の仕込みを行い、製造された「菩提もと」を酒母にした「菩提もと清酒」の製造が、研究会会員の酒蔵で行われます。
奈良の八重桜プロジェクト
奈良は新しい花酵母にも挑戦しています。
このプロジェクト、2009年の奈良女子大学創立百周年に華を添えようと、2006年初夏に小さく芽吹いたプロジェクトです。
学章にも使われ、可憐に咲く「奈良の八重桜」から清酒酵母を分離・培養しようという『夢』です。
「奈良の八重桜」はれっきとした八重桜の一品種で、現在奈良県内に10数本しかない希少種なのです。
2006年は真っ赤な実より、2007年は花よりの採種を試みますが、いずれも分離できませんでした。
2008年には奈良県工業技術センターの研究員も加わり、採種場所を学内だけではなく奈良公園にまで広げました。
この年に野生の花びらから採種され、1株だけ分離されました。この清酒酵母は、酒蔵での醸造適合性も良く、酸味と甘味のバランスが絶妙な爽やかな清酒を創り出しました。発見する確率が200万分の1以下とも言われる清酒酵母を発見したのです。
清酒酵母は「ナラノヤエザクラ酵母」、清酒は「奈良の八重桜」と名付けられました。
このお酒は、コハク酸とリンゴ酸が多く含まれ、ほのかな甘味と奥深い旨みを感じ、爽やかな清酒です。
今西清衛兵商店で製造されています。