三重県でお酒の売却をご希望のお客様は...
三重県とお酒
伊勢神宮のお酒
「御神酒あがらぬ神はない」というように、どこの神社でもお祭りには必ずお酒がお供えされます。
平安初期の文献「皇大神宮儀式帳」に酒作物忌・清酒作物忌などの職掌が見え、神宮においても古くから神饌としてお酒が大切に取り扱われていたことがわかります。
特に最も重要なお祭りである三節祭には今日でも、白酒・黒酒・醴酒・清酒の4種のお酒がお供えされます。このお酒は清酒を除き皇大神宮の神域にある忌火屋殿(神饌調理所)において古式どおりに醸されます。
伊勢神宮の御料酒は、神様がお飲みになるお酒で、銘柄は白鷹です。御神酒は神様からいただく人間が飲むお酒で、伊勢神宮の御神酒は、御料酒と同じく白鷹です。
これとは別に、三重県の蔵元はもとより、全国の蔵元から清酒が奉納されます。
白酒と黒酒と醴酒
白酒と・黒酒の仕込は、神官により古くから伝えられた方法に則り行われます。どぶろく仕込方式で、酒母をたてることなく、蒸米・米麹・水を一度に仕込みます。仕込後12日で熟成し、これを笊でこして酒と粕に分離します。
検定後二分し、片方が「白酒」で文字通り白く濁った酒であり、もう一方には、ある種の草木灰を加えたものが「黒酒」となります。
醴酒(一夜酒)は甘酒の一種で、水が少ないため固いおかゆのようなものです。
「御食國」
三重県は南北に細長く伸び、東に志摩半島、西に伊賀盆地が突き出た、十字型の地形です。
このため気候は地域差が大きくて、伊勢平野の東側は伊勢湾と熊野灘に面し、西側は鈴鹿山脈、布引山脈、大台山系などの紀伊山地が覆っています。
紀伊山地は日本で有数の多雨地帯であり、そこから流れ下る宮川、櫛田川、雲出川、名張川、鈴鹿川、三滝川などの豊富な伏流水は清冽な軟水です。そのほかの山系でも、山麓には清冽な伏流水が湧き出ています。
三重県は、古より「御食つ國」(みけつくに)と呼ばれ、天皇家御用達の高級食材がとれる国でした。
あらゆる植物が良く育ち、一年を通して野や田畑に緑が絶えず、豊富な食材が溢れています。
特に稲作に適し、伊賀米、一志米は昔から食味の良さで知られています。
三重県の蔵元は様々な山海の珍味や高級料理にマッチする多様で高品質な地酒を造り出してきました。
三重県のお酒造り
有名な酒造好適米「山田錦」は伊賀地方を中心に数多く栽培され、他にも「五百万石」、「伊勢錦」など様々な酒米が県内各地で栽培されています。
酒造りは、内陸性気候で寒冷な伊賀地方と寒冷な「鈴鹿おろし」が吹き荒れる北勢地方、と「布引おろし」が寒気を運ぶ中勢と南勢地方の北部で盛んです。
どの蔵元も冬期には気温が摂氏0度前後になり、吟醸酒などの高品質な酒造りに適した場所にあります。
清水が豊富に湧き出る三重では、酒造用仕込み水はほとんどが軟水です。
三重県産の高品質な酒米は、清冽な仕込み水で醸され、きめ細やかでまろやかな味わいの高級酒に醸し上がります。
県独自の三重酵母や低アルコール酵母など様々な清酒酵母が開発されています。 それらを基に各蔵元では吟醸酒、純米酒、低アルコール酒、高酸味酒、長期熟成酒など高品質で多様な酒を醸しています。
軟水と硬水「硬度」
硬度は水に含まれるカルシウムイオン、マグネシウムの量の度合いで、表記にはドイツ硬度とアメリカ硬度があります。
ドイツ硬度では、0~3が軟水、3~6が中軟水、6~8が軽硬水、8~14が中硬水、14~20が硬水、 20以上を高硬水といいます。
アメリカ硬度は、ドイツ硬度×17.8です。
厚生労働省のおいしい水の基準ではアメリカ硬度100以下となっており、ドイツ硬度に換算すると5.6となります。
醸造分野では、かつてドイツ硬度が用いられてきましたが、現在ではアメリカ硬度が主流となっています。
軟水は、酵母の栄養源となるカルシウム、マグネシウム、塩類が少ないので、発酵がゆっくり進みます。
幻の酒米「伊勢錦」
発見者の岡山友清は文化11年(1849年)に帰郷して農業に従事しました。
在来品種の「大和」から選種に選種を重ね、品種改良の末、蔓延元年(1860年)に優良種を得ました。
「伊勢錦」と名付けて、これを松阪付近の参宮街道頒布所で参宮道者に無料配布され広がったといわれます。
芳醇な味を醸す酒米として、明治期には各地で栽培され、近畿圏で多く栽培されていました。
大正期には三重県以外でほとんど見られなくなり、戦中の米不足や背丈が高く倒伏しやすいなどの理由から近代農法にあった飯米の新品種に変わって行きました。昭和25年には姿を消しました。
文化2年(1805年)創業の老舗・元坂酒造は、地元の酒米「伊勢錦」の復活を試みました。
種子保存されていた「伊勢錦」の種籾を一握り譲り受け、三年がかりで増やし平成元年に酒を造りました。
蘇った伊勢錦のお酒が、「酒屋 八兵衛 伊勢錦純米吟醸酒」です。
透明感のあるきれいな口当たりと芳醇な香りからは、古代伊勢のロマンが感じられます。
「伊勢錦」は「山田錦」の親?
「山田錦」は、短桿渡船を父とし山田穂を母として大正15年に人工交配させて誕生したもので、昭和11年に「山田錦」と命名されました。
短桿渡船の親は「雄町」です。
味は、雄町が濃醇な味、伊勢錦は淡麗でさっぱりとした味、山田錦は、その中間と言えます。
山田穂は、兵庫県吉川町の田中新三郎氏が伊勢参りの際に伊勢山田で見つけた穂を持ち帰ったので、山田穂と呼ばれるという説があります。
伊勢神宮は、伊勢市の山田地区と宇治地区にあり、その当時のこの地でしげる大粒の米は、伊勢錦です。
三重大学の調査では、伊勢錦と山田錦は、出穂時期など栽培形態がほぼ同じで、心白の入り方も非常に似ています。
伊勢錦は山田穂と同じ品種か、元となった品種である可能性があります。
新しい酒米品種「神の穂」
県内酒造メーカーには、地元で生産された酒米でお酒を仕込みたいという要望がありました。伊賀農業研究室は、おいしいお酒ができて栽培しやすい酒米の開発を目標に、さまざまな試験を行って「神の穂」を開発しました。
種苗法に基づく品種登録出願申請を平成19年10月に行い、平成22年8月に品種登録されました。
「神の穂」は、稲が倒れにくい、収穫量が多いといった特長があり、うま味のあるやさしい味わいのお酒ができます。
イセヒカリの誕生秘話
この秘話には、二人の人物が登場します。
平成元年に伊勢地方を台風が二度襲い、神宮神田「西八号田」のコシヒカリは完全に倒伏しました。第一の人物・神田事務所の森晋は、被害を受けた田の中央に2株並んで直立している稲を発見しました。
森晋は、この稲を神田で大切に育て、コシヒカリ晩と命名しました。
第二の人物・山口県農業試験場長の岩瀬平は定年後、神社庁の講習で直階を取得しました。
平成2年3月に、伊勢神宮に詣で、神田で森晋との肝胆相照らす運命の出会いをしました。
別れ際には、森晋から渡された黒米と赤米の種子が、岩瀬平の手元にありました。
平成7年に、岩瀬平の強い要請により、コシヒカリ晩の苗と種子が森晋から届けられました。
これ以降、山口県の農業関係者の尽力により、本格的な研究が行われ、優秀な特徴が明らかになりました。
コシヒカリよりも稈が太く下位節間が短いので耐倒伏性が強く、二次枝梗籾数が多く多収で耐病性もある。
甘味はコシヒカリ以上で、蛋白質は低く硬質米であるため酒米にも向いています。
コシヒカリ晩はイセヒカリと命名され、全国に普及がはじまりました。