福岡県でお酒の売却をご希望のお客様は...
福岡県にお住いのお客様は買蔵の本部(横浜)で受付いたします。
宅配買取はこんな方にオススメ
出張買取に来てもらうほどの本数はない
少ない本数でもわざわざ出張買取や店頭買取を利用するのはちょっと。。。とお考えのお客様には、宅配買取がおすすめです。
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対面でやり取りすることに抵抗がある
当社のスタッフは親切丁寧な接客態度を常に心がけていますが、
やはり対面でのやり取りには抵抗があるとお考えのお客様もいらっしゃることと思います。
宅配買取であれば、誰とも会わずにスムーズに買取させていただくことができます。安心してご利用ください。
【宅配買取の流れ】
まずはお電話かお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。
宅配キットをお客様のご自宅までお送りいたします。また、ご不明な点やご不安な点がありましたら、気軽にご相談ください。
宅配キットが届きましたら、丁寧に梱包してください。
配送中にキズがつくと、せっかくのお酒の価値が下がってしまいます。
梱包後、必要書類に記入していただき書類を宅配キットに同封し、佐川急便の着払いにて配送ください。
お客様のお酒が届き次第、査定させていただきます。査定後、お電話かメールにてご連絡いたします。
査定金額にご納得いただけた場合には、ご指定の銀行口座にお振り込みいたします。
査定金額にご納得いただけない場合には、お預かりしたお酒は責任を持ってお客様までお返しいたします。
福岡県とお酒
日本酒の原点「練酒」(ねりざけ)
練酒は日本酒の一種であり、古代酒の原型を最も留めているといわれます。
室町時代に「練酒」は京都で珍重され、西国からの土産物や贈り物として、大変人気が高かったと言われます。
各地で造られた練酒の中でも特に「博多練酒」は高い評価を受けていました。
「練酒」はその昔、戦国時代では出陣の景気づけに飲まれ、その後もおめでたい三三九度や、正月をはじめとした五節句などに用いられていた祝い酒です。
「練酒」の製法は、室町時代の名酒製法の書である「御酒之日記」に記されています。
「博多練酒」の復活
若竹屋酒造場は、「御酒之日記」に記された製法をもとに、十数年という月日をかけて幻の古伝酒「博多練酒」は復活しました。
博多練酒は、70%にまで精白した上質の米、餅米を乳酸醗酵させます。その乳酸液に、米麹、米、水を入れて再び醗酵させ、それを臼で引いて、絹布で濾して造ります。
とろけるような、絹ごしの舌ざわり、甘ざけとは違う風味で、白酒よりも飲みやすく、アルコール度数は3%程度でお酒臭さはありません。
フルーティーでまろやか、自然な甘酸っぱさにお酒に香りがからみ合い、まるでお米を溶かしたようなお酒です。
酒作りに適した福岡県
福岡の気候は、九州でありながら冬場の気温は低く、空気が乾燥しており、酒づくりにはうってつけの風土です。しかも酒造好適米「山田錦」の有数の産地であり、清冽な軟水に恵まれ、歴史ある杜氏集団が存在します。全国的に見ても、福岡は酒どころとしての条件を備えたトップクラスの地域であります。
福岡の水
福岡県には南東部に1000m級の台地性の山地があり、中部には筑紫山地があります。有明海に注ぐ九州一大きな筑後川、響灘に注ぐ遠賀川などの一級河川もあり、到る所で酒づくりに適した良質で清冽な水が得られます。
いま全国的に人気のある地酒の銘柄は、だいたい軟水で仕込んでいるところが多いようです。福岡の水は地域によって違いはありますが、だいたいにおいて軟水が多く、時代が求める味に適した水環境が整っています。
筑紫次郎の酒蔵
有明海に注ぐ九州最大の川・筑紫次郎と呼ばれる筑後川は、流域の広大な筑紫平野を拓き、豊かな水田を潤し、豊富な伏流水は流域の多くの酒蔵の仕込み水となっています。
元禄3年の筑前には613軒の造り酒屋があったという盛況ぶりです。
五代将軍徳川綱吉の頃から、「福岡の酒がうまい」という話がありました。元禄末期に福岡県の儒学者、貝原益軒は福岡の酒を「優良、上国の佳産に勝るもの」と評しています。
江戸時代は運搬の主な手段が海運だったので、筑後川の水運は重要でした。
豊富な水量を誇る筑後川流域には、多くの蔵元が現在も軒を並べています。
「九州の灘」
広い筑紫平野の豊かな穀倉地帯にある城島地区は、「九州の灘」と呼ばれることがあります。ここには明治時代の半ばに、80を超える酒蔵が存在し、日本でも有数の酒どころでした。全国の品評会でも入選する銘柄が続出し、兵庫の灘、京都の伏見と同格の酒どころとされていました。
筑紫平野の質の高いコメと筑後川の豊かな水により、福岡は西日本有数の銘醸地となっています。
福岡の酒米
福岡は日本でも早くから稲作が行われた地域で、博多にある板付遺跡からは、日本で最も古い水田跡が発見されています。
もともと稲は南方系の植物で、原種の稲は寒冷地などでは非常に栽培が困難でした。稲が日本にはじめて伝わったのは南の九州です。福岡で原種の稲で稲作が行われていたという事実は、古の時代から稲作に大変適した環境にあることを示しています。南部の筑後平野には広大な水田が広がり、全国的にみても、有数の米どころとなっています。
酒造好適米の代表的な銘柄「山田錦」を全国に先駆けて栽培し始めたのは兵庫県、大阪府、福岡県で、山田錦の生産量は兵庫県に次いで福岡県が全国2番目です。
山田錦は原種に近い米なので、丈が長く、環境に左右されやすく、栽培が容易ではありませんでした。
福岡県では、福岡市の西の糸島地区あたりが、稲穂が育つ時期の昼夜の温度差がちょうどよく、栽培が盛んになりました。
福岡は、山田錦以外の酒造用米の生産量では全国一で、米の移出県です。酒用の米作りに関しては全国的に見ても非常にハイレベルな産地です。
福岡の杜氏集団
筑後川流域には酒造が多く、福岡県には柳川杜氏、三潴杜氏、久留米杜氏といった大きな集団があり、福岡のみならず九州全域の酒蔵にも協力しています。糸島の芥屋にも芥屋杜氏が存在しますが、いまではたいへん小規模になってしまいました。
お酒には多種多様な銘柄がありますが、吟醸造りでも高い技術が維持され、洗練されたきれいで穏やかな酒質が福岡吟醸の特徴となっています。
粕取焼酎と「博多焼酎」
「博多焼酎」の起源は江戸時代に清酒粕から造られた粕取焼酎で、長い歴史を持ちます。
福岡県の粕取焼酎の主な産地は大宰府・粕屋・糸島・八女など大宰府天満宮の神領田所在地です。
粕取焼酎づくりは、打ち水をして数ヶ月熟成させた酒粕に籾殻を混ぜ、積み重ねたセイロで蒸してアルコール分を抽出するというものです。酒成分が抜けた後の「下粕」は最上の肥料となって大地に戻り、農業増産に貢献しました。
農家にとって最も過酷な労働である田植えの共同作業を終えると、「早苗饗」と呼ばれる宴が開かれました。
田植えの労をねぎらうため、ご馳走と酒が振る舞われ、そこで酌み交わされた酒・「早苗饗焼酎」は粕取焼酎です。
またお盆になると暑気払いに、粕取焼酎に砂糖や蜂蜜などを加え飲む「盆焼酎」の風習もありました。
雑穀で焼酎づくり
1940年代後半は食べる米さえ不足したので、福岡県の酒造家たちは、とうもろこし・高梁といった雑穀さらには甘藷・麦・米粉などで焼酎づくりに取り組んでいました。そうした原料不足の時代に取り組んだ試行錯誤の数々が、博多焼酎の現在へと繋がっています。
戦前から続く新式焼酎<甲類焼酎>の浸透に加え、ライトな味が好まれるようになると、古式蒸留による個性的な風味の粕取焼酎は主役の座を譲ることになりました。現在おなじみの減圧蒸留や新しい濾過方法などのマイルド化技術は1950年代から福岡で試みられたものです。
戦後三十年の試行錯誤の中から、まず米焼酎が人気となり、博多焼酎の土台を築きます。そして、さっぱりとした味わいが特徴の麦焼酎が次の覇者となっていくのです。
福岡は清酒どころなので、米焼酎も清酒取り焼酎もあります。
だから米焼酎はお手のもので、清酒づくりの細やかな品質管理が活かされ、繊細な味わいが醸されています。
さらに清酒そのものを蒸留した「清酒取り焼酎」も博多焼酎の新しいメンバーです。
麦100%の麦焼酎
1970年頃までは酒は米麹で醸すのが常識でした。
しかし麦焼酎と謳うならすべて大麦で麦焼酎をつくろうという挑戦が福岡で始まりました。
大麦麹の製造に着手して四年が経った1975年、ついに麦100%麦焼酎が完成しました。
福岡は麦100%麦焼酎の先進県で、現在の博多焼酎も麦焼酎が主流です。
福岡県は、豊かな水と土地が育む農作物に恵まれ、いろんな原料を使った焼酎がつくられています。
麦焼酎をはじめいろんな原料を使ったいわゆる醪取り焼酎が生まれました。
米・麦・そばに加えて、胡麻焼酎やにんじん焼酎、八女名産の玉露を使った緑茶焼酎、ひまわり焼酎や芋焼酎もあります。
さらに博多焼酎に吟醸酒粕のもろみを蒸留した「吟醸粕取焼酎」が加わってきました。吟醸酒の華やかなフルーティの香りが活きた新しい粕取焼酎です。
また原点である古式蒸留の粕取焼酎も復活され、新旧様々な味わいが楽しめる博多焼酎です。