東京都のお客様から買ったお酒

一四代/石田屋
竹鶴21年

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東京都とお酒

お江戸の酒事情

徳川幕府のお膝元、江戸は近世中期に人口が100万人を超え世界有数の都市でした。江戸は、物資の多くを上方などの外部に依存する大消費地でした。
お酒についてみると、江戸近辺で造られていた酒は醸造技術がまだ進んでなく、濁酒(どぶろく)に近いものでした。一方、上方では洗練された諸白(清酒)が生産され、この酒が江戸に送られて大いにもてはやされました。
江戸の酒の消費量は年間50~80万樽にのぼり、その7~9割は下り酒(大坂から送られる関西の酒)で、残りが地廻りの酒(関八州産の酒)であったといわれます。
関東の地酒である地廻り酒は、江戸の消費者にとり「安物の酒」とか「まずい酒」といった意味で、「地廻り悪酒」などと悪口を叩かれました。
江戸の庶民は高価でも下り酒を買い求め、地廻り酒は余り売れなかったようです。
下り酒は、江戸時代前期には伊丹酒、池田酒が、後期には灘酒が増えました。
江戸の商品需要をかように上方からの下りものに頼ると、輸送費がかかる分だけ江戸では消費者物価が高くなります。このような状況が続くのは、徳川幕府にとっても好ましくないため、寛政2年(1790年)から天保4年(1833年)まで松平定信らを中心に改善がはかられました。
幕府は地廻り酒を下り酒に劣らぬ品質に高めようと計画し、武蔵、上総など関東の川沿いの豪商などに酒米を貸与、これで上質諸白の日本酒3万樽を造らせました。このようにして徳川幕府が関東の酒屋に作らせた酒を御免関東上酒といいます。
しかし、上方の醸造技術に追いつかず、江戸時代が終わるまで、御免関東上酒が成功することはありませんでした。

東京の酒蔵

日本の首都・東京は世界を代表する都市でもあります。
東京は、お酒の大消費地ですが、お酒を造る蔵元の数は減少してきました。全国的に地酒ブームが沸き起こっていますが、東京には大きな地酒ブームは感じられません。
お酒を造るには、良質のお米と水が不可欠です。
お米の産地でない東京には、オリジナルの酒造好適米がありません。また、都市化の進展に伴い、水質の悪化も発生します。水質の変化により、やむなく醸造を諦める蔵もあります。
東京の酒蔵は、お酒造りの逆風の中で、国酒である清酒造りに情熱を傾けています。

23区内唯一の酒蔵「小山酒造」

小山酒造は、東京23区内にある唯一の酒蔵です。
蔵の歴史は、初代が酒造に適した湧水を発見し、明治11年に酒造りを創めて以来、百年を越えます。
関東西部から埼玉県の入間台地の地下を北西に流下する地下水が荒川沿いに集まって、浦和付近から南下する「浦和水脈」があると考えられています。
酒蔵のある北区岩淵の地下には、秩父を源流とする浦和水脈の支流が流れており、昔から豊富な水資源で知られていました。昔はこの辺りを掘ると湧水が2メートルも噴出したという話もあります。
小山酒造は、この良質な伏流水を使って、まろやかな酒を造っています。
酒銘「丸真正宗」は「丸まる本物の酒」の意味で、名実共に「江戸の酒」を醸しています。

江戸名所図絵に描かれた「豊島屋酒造」

今から約四百年前、慶長元年1596年に江戸の神田橋付近で、初代が酒屋兼一杯飲み屋を始めました。そして、江戸での草分けとなる白酒の醸造には、誕生の秘話があります。
ある夜、豊島屋十右衛門の夢枕に、紙雛様が立って、白酒のつくりかたを伝授しました。十右衛門が、その通りに醸ってみますと美味しい白酒が出来たということです。
桃の節句の前に白酒を売り出したところ、大いに江戸中の評判になり、「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われるほどの名物になりました。
東京の蔵元では一番の歴史を持っている蔵元で、「金婚正宗」は大正天皇ご成婚を祝って造られた銘柄です。
昭和の初期に、現在の東村山に醸造元として豊島屋酒造を設立しました。地下を流れる伏流水を井戸から汲み上げて、仕込水として用いています。

大国魂神社の御神酒造り「野口酒造店」

野口酒造は、武蔵総社大国魂神社と深いつながりがあり、御神酒を献上しています。
創業は、江戸末期の1860年で、約150年の歴史があり、地酒らしい地酒を造ります。
大国魂神社のくらやみ祭期間に限定して売られる「武蔵府中くらやみ祭」は、 普段は「中屋久兵衛」の名前で販売されています。

石川酒造

石川酒造は、文久3年(1863年)の創業で、明治13年に熊川の地に酒蔵を建ててから現在まで、敷地内の土蔵にはさまざまな歴史が刻まれています。
この蔵の中で、数々の銘酒を生み出し続ける石川酒造の宝はその仕込み水です。ここはもともと水が豊かな地で、敷地内に酒造りに適した良質な水の出る井戸を所有しています。この水だけで、酒造りはもちろん、この広大な敷地内の全ての施設をまかなっています。
酒造りにとって、もっとも重要な要素は水です。酒造りをする人たちは水をとても大切にしてきました。秋、酒造りを始める前に、酒造りに使う井戸の掃除を行います。これは井戸替えといって、将来、役人(やくびと)として見込みのある若衆を選んで「水神」とし、樽に乗せて井戸の壁を掃除させました。

田村酒造場

文政5年から多摩川のほとり、西に連なる山塊を望む福生の地で酒造りを行っています。
量を追わず、手間暇を厭わず、丁寧に酒を造り、丁寧に販売するがモットーです。
酒銘「嘉泉」は、敷地内に酒造りに好適な中硬水の秩父奥多摩伏流水を得た喜びに由来します。

野﨑酒造

越後杜氏の初代が、明治17年にあきる野市戸倉で酒造りを始めました。
冬は都心と比べると冷え込みが厳しく、ほぼ毎日が冬日で、山間部に近い地域では積雪も多くなります。
蔵正面には標高434mの戸倉城山があり、そこより湧く、伏流水を仕込み水に使用しています。
酒の品質を劣化させる「鉄」「マンガン」が非常に少なく、水質はやや軟水で酒造りに大変適した水です。
秋川渓谷の清浄な空気と、東京23区より4~5度低い気温は寒造りに適しています。

中村酒造

文化元年(1804年)に創業の蔵です。
西部は関東山地の一部をなす山々がそびえ、中心部に秋留台地・草花丘陵がひろがります。内陸性の気候で、中央高地式気候の特徴も見られます。年間平均気温は約13℃で、冬の冷え込みが厳しく酒造りに非常に適した気候です。あきる野市を流れる秋川は、多摩川水系で最大の支流です。仕込み水は、秩父古生層にこされた清冽な多摩山系の水を地下170メートルより汲み上げて使っています。
仕込み蔵は江戸時代に建築された土蔵と、一年を通じて10℃以下に保たれる空調完備の近代蔵があり、両方の特長を生かして醸造を行っています。
厳選した米を、通常の「三段仕込」より一段多い「四段仕込み」で醸し、米からのうま味を大切にしています。
こうして生まれるお酒は、淡麗型でありながら、米のうま味もしっかりしています。

小澤酒造場

元禄15年(1702年)の創業で、300年前から伝わる名水の横井戸は、秩父古生層の岩盤を掘り抜いた洞窟の奥から湧き出ます。五穀豊穣を願って神に捧げられる御神酒を造る仕事は、神事ともいえます。
小澤酒造場の敷地内で、こんこんと湧き続けている水は、清冽な高尾の霊水です。
澤乃井には酒の貯蔵タンクが並ぶ元禄蔵、酒の仕込みに使う明治蔵、近代的な設備の平成蔵があります。
江戸の昔から伝わる「木桶仕込み」や山田穂の姉妹米という野条穂からの清酒を復活させました。
お酒の文化が香る酒蔵です。