畑をもたない純然たるネゴシアン「ラーセン」

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ラーセン|LARSEN

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ラーセン社の創業者は、イェンス・レインダール・ラーセンで、北欧ノルウェーの出身。若いころから、海外に雄飛びして名を揚げることを夢見ていた。彼が学校教育を終えた時は、ちょうど第1次大戦のさなかで、兵役義務が待っていた。それを務めあげたのち、1919年に、念願の海外渡航のチャンスをつかむことに成功した。ノルウェー商船の見習い船員に採用されたのである。

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24歳になっていたイェンス・レインダール・ラーセンは、希望に燃えてオスロを出港した。そして、船がフランスのボルドー港に着いた時、船員の職を辞して、コニャックに向かった。そしてプルニエ社に採用になり、そこで彼と酒の結びつきが始まった。

このプルエニ社で、ラーセンは日夜ブランデーづくりの仕事にはげんだ。そして、ブレンドのノウハウを充分に身につけ、1921年、念願の独立を果たした。

ラーセンは、会社のスタートに当たり、シンボル・マークとして帆船を選んだ。これは、北欧出身者として、祖先のヴァイキングの栄光を誇りに思っていることの表れである。この勇壮なイメージの帆船マークは“ドラッカー・インヴィンシブル(無敵の帆船)”と呼ばれ、いまでも同社製品のラベルを飾っている。ただ最近はイェンス・レインダールがボルドーに入港したときの船の絵にすぎない、と説明を変更している。

ラーセン社の創業当初の売り込み先は、イェンス・ラーセンの出身地である北欧であった。北欧人は、概してヘビー・タイプの味わいを好む傾向にある。そのため、ラーセン社では、重厚な味わいのコニャックを選んで樽詰めし、せっせと北欧に送り込んだ。

その後、コニャックが瓶詰めで売られるようになってからもヘビーな味わいはラーセン・コニャックの特徴としてしばらく続いた。しかし、ラーセン・コニャックは、その後次第に世界各国でも愛飲されるようになった。

現在では、北欧への輸出量は、ラーセン・コニャックの5分の1を占めるにすぎず、北欧に代わって、東南アジアが最大の得意先になっている。そのため、酒の味わいのほうも、主要輸出先の好みに合わせて、ライト・タイプに変わってきている。ただし、単純なライトではなく、口に含んだ瞬間のボディの力強さは残っており、ラーセンの伝統的なカラーが息づいている。

ラーセンは、畑をもたない純然たるネゴシアンである。原酒は、グランド・シャンパーニュ、プティット・シャンパーニュ、ファン・ボアの3地区から利き酒のうえで購入し、自社で熟成、ブレンドして商品化している。

原産地
フランス・コニャック地方